日本でファクトチェックが拡がらない理由を再考する COVID19で変わるファクトチェック:ふたつの国際会議から (中)【奥村信幸】


冒頭画像:スクールバスに火炎瓶が投げられたというミスインフォメーションを検証する「マレーシア・キニ」のホームページより

 ファクトチェックをめぐる最新のトピックを2つの国際会議の議論から紹介しています。

 ひとつは、9月29日と30日(日本時間)に行われた「APAC Trusted Media Summit(アジア太平洋地域 信頼できるメディアサミット)2021(以下「APACサミット」と表記)」、Googleニュース・イニシアチブ主催のイベントです。アジア太平洋地域の約60の国からジャーナリスト、NGO、メディア研究者などが参加しました。

 もうひとつは、10月20日から23日(日本時間)に開かれた「Global Fact 8(グローバル・ファクト・エイト:以下「Global Fact 8」)」という世界のファクトチェッカーや、ディープフェイク対策の専門家やAIの研究者らが中心となる会合です。アメリカのフロリダ州に本拠地を置くIFCN(国際ファクトチェッキング・ネットワーク)が主催する、この分野では最も先進的で影響力のあるものです。

 2回目は、各国からの事例をいろいろ見聞きする中で、それらを日本の状況と比較すると、日本ではミスインフォメーションが外国のようには拡散しない「幸運にも偶然の」要因があったのではないかという、特殊事情について考えます。しかし、だからと言って将来も変わらず安全というわけではなく、今のうちに準備をしておく必要もあるのです。

国境を突破するミスインフォメーション

 ファクトチェッカーの連携は、国境を越えて進んでいます。APACサミットでは、ミスインフォメーション・ディスインフォメーションの国境を越えた伝播、それに対抗するファクトチェッカーの連携の事例が数多く報告されました。

 あるセッションではマレーシアで起きた、2019年に激しさを増した香港の学生デモに関するミスインフォメーションが、中国語のメディア間で転載されたり、Facebookのポストを通じて拡散されたりした、いくつかのケースが紹介されました。

 ひとつは、香港の学生が投げたとされる火炎瓶が、スクールバスの前で爆発した画像と、バスの中でうずくまる小学生とみられる女の子の画像とともに「デモの学生が小中学生を標的にしている」との見出しのついた香港発の中国語ニュースを、マレーシアの中国語メディアが拾って伝播、さらに英語のメディアに転載されたニュースを、中国政府系のメディアが大々的に伝え、公式な「お墨付き」を得た、元々はミスインフォメーションだった情報が、再度マレーシアに流入して、さらに拡散したものです。

政府も拡大に加担?

 もうひとつは、マレーシアの中国語ネットメディアが「香港の独立派の学生グループが、現地のアメリカ領事館の女性外交官と秘密の会合をしていた」という短いニュースを写真付きで報道し、学生デモの背後に、アメリカなどの欧米の国々が支援していることをにおわす情報が、複数のFacebookの大規模なグループにシェアされるなどして拡散してしまったものです。

 これらの調査を行い、APACサミットで報告した、ネットメディアの「マレーシア・キニ」の調査(これらの調査報告は、このサイトにまとめられています。ミスインフォメーションの伝わり方を説明するグラフィックの表現などもわかりやすく、参考になります)によれば、マレーシアの中国語メディアの報道を遡っていくと、中国の新華社通信や、香港で中国政府の強い影響下にある新聞の情報が転載され、伝わってきたものであることがわかりました。

 「米外交官と学生グループの秘密の会合」と伝えられた写真は、アメリカで香港人権・民主主義法が成立した際に、香港議会を訪れた後に撮影されたものであり、秘密の会合ではないことが判明しました。しかし、マレーシア国内では、このミスインフォメーションを現地の中国大使館がFacebookにポストし、さらに拡散するような事態も起きたということです。

「共通の言語」は大きなリスク要因

 東南アジア諸国には、かなりの数の中国系の住民がおり、インターネットがあれば、外国のメディアでも中国語であれば自由に閲覧できますし、ソーシャルメディアで外国にいる友人とシェアすることも簡単にできてしまいます。このような拡散の問題は、社会的な影響の大小はあるにしても、マレーシアに限らず各地で起きています。

 このような事態は、中国語だけでなく、英語のニュースメディアや、アジアで同じ言語を使う部族などが、複数の近隣国家に分かれて住み、しかしFacebookなどで共通のコミュニティを作っている事例は、アジア太平洋地域に限ったことではありません。言葉を介してミスインフォメーションが容易に国境を越える問題は、今後ますます広範囲に、インパクトも強いものになる恐れがあります。ファクトチェッカーが国内だけでなく、国際的にも連携、協力をしていく必要が増しているのは自明のことでしょう。

日本は「ミスインフォメーション・ガラパゴス」?

 そういう意味では使用する人数も地域も非常に限定的な日本語は、海外からのミスインフォメーションが侵入し、人々が直接に触れる確率はかなり低くなると見られます。自動翻訳ソフトなどの精度が未だ高いとはいえない現状では、翻訳に時間がかかるなどの手間やタイムラグによる予防効果はかなり大きいはずです。

 また、東南アジアやインドなどのメディア関係者が何度も指摘していたように、人々の目を引きそうなネット上のミスインフォメーションに安易に飛びつき、情報の出所なども確かめずにニュースとして発信してしまうような、ニュースメディアの検証能力の欠陥や致命的な怠慢によるミスインフォメーションの深刻な拡散も、今のところ起きていないようです。

 ニュースの消費者も新型コロナウィルスに関しての知識をまあまあ持っていることも一因かも知れません。

 2020年4月に、Googleなどがアジア太平洋地域の7カ国(オーストラリア、香港、インド、インドネシア、日本、シンガポール、韓国)の国民、それぞれ約500人に新型コロナウィルスとニュースメディアに関しての調査を行った際、新型コロナに関する基本的な知識のテストも行いました。その結果、日本はダントツのトップでした(2020年のAPACサミットで香港大学の鍛治本正人准教授らが、調査結果の解説をしています。英語ですが、動画はこちらで見ることができます)。

 ソーシャルメディアのユーザーの分布も、かなり特徴があることも、ミスインフォメーションの拡散を抑制する要因になっている可能性があります。

 世界的な傾向として、ミスインフォメーションの拡散の場として、指摘されるのはFacebookとWhatsAppというソーシャルメディアのグループ機能です。ミスインフォメーションは爆発的な拡散の直前に、メンバーが限定されたソーシャルメディアのグループで急速にシェアされるような現象があることが多いことがわかってきました。しかし、日本ではWhatsAppのユーザーは非常に少なく、Facebookユーザーは40代以上の男性が多数を占めるという、他国とは非常に異なるユーザーの分布も影響していると見られます。

ラッキーだが安全ではない

 しかし、だから日本でミスインフォメーションの対処は、あまり熱心にしなくてもよい、ということにはならないと思います。ミスインフォメーションが拡散する環境が、たまたま整っていなかっただけで、将来もミスインフォメーションの被害に遭わないという保証はありません。日本語が非常にユニークな言語であるという「特徴」も、翻訳ソフトなどの進歩によって解消されていくでしょう。

 ニュースメディアやニュースの消費者の間に、ミスインフォメーションの対策を行ったという「経験値」が、なかなか蓄積しないことも問題かも知れません。ファクトチェックは、やはり一定の件数を処理してみなければ、どのような言説を優先的に取り上げるべきか、拡散途上のどの時点で、そのミスインフォメーションの存在を知らせ、介入するかというタイミングを適切に判断することができません。

 ニュースの消費者の側も、どのメディアの検証作業が信頼できるか見比べたり、あるいは重要なファクトチェックの結果をソーシャルメディアで拡散したりして、ミスインフォメーションを食い止めるためには、やはり経験は必要です。そのような経験をニュースメディアも、一般の人たちも、していないということは、ひとたびそのようなリスクにさらされた際に、大きな影響が出る恐れがあります。

 想像したくはありませんが、日本国内を混乱に陥れようとする、悪意を持った国外のアクターが、周到に日本語を扱う準備をして日本にミスインフォメーションの拡散を仕掛けてくるような事態になってからでは遅いのです。その前にファクトチェックのスキルを磨くだけでなく、海外のファクトチェッカーどうしが連携、協力するフォーラムに加わる方がいいのではないでしょうか。

 今回のAPACサミットには、シンガポール時間でのスケジュールでオンラインということもあって、日本のメディア関係者も数多く見受けられました。単なる見学、偵察でなく、関与の度合いを一歩進めてほしいと強く思っています。

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著者紹介

奥村 信幸(Okumura, Nobuyuki)

武蔵大学社会学部教授、FIJ理事
1964年生まれ。上智大学大学院修了(国際関係学修士)。1989年よりテレビ朝日で『ニュースステーション』ディレクター等を務める。米ジョンズホプキンス大学国際関係高等大学院ライシャワーセンター客員研究員、立命館大学教授を経て、2014年より現職。訳書に『インテリジェンス・ジャーナリズムー確かなニュースを見極めるための考え方と実践』(ビル・コヴァッチ著、トム・ローゼンスティール著、ミネルヴァ書房)。