ウクライナで繰り広げられる「事実の監視を巡る戦い」【平野高志】


(写真)ウクライナのルハンシクで調査するウクライナ特別監視団(SMM)=OSCE Evgeniy Maloletka

 2014年、ロシア連邦によるウクライナ南部クリミア半島の占領と東部ドンバス地方への侵攻は、専門家間ではしばしば「ハイブリッド戦争」と呼ばれている。ハイブリッド戦争とは、従来の鉄と火による正規軍同士の物理的な戦いに加えて、民間傭兵等から構成される非正規軍の投入、フェイク(偽)情報の拡散、重要インフラへのサイバー攻撃、電子戦といった、目的達成のために、従来の紛争においては主要な手段として用いられなかったものを組み合わせる戦闘を指す。

 日本では、小野寺五典前防衛大臣が、2018年の防衛大綱の改訂に際し、ロシアがクリミア占領の際に用いた手段を目の当たりにし、戦い方が変化したことを実感したため、防衛大綱の改訂を決めたと各所で述べている。その際に、フェイク情報への対応もハイブリッド戦争の一環として考えることが重要だと指摘している。

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 ウクライナ東部では、2014年以降、現在まで戦闘が続いている。これは宣戦布告のない戦闘であり、その実態について、一方でウクライナはロシアによる侵略であると主張し、他方でロシアは自国の関与を否定し、「ウクライナ国民同士の内戦」と主張している。

 その際の重要な要素として、ロシア連邦が、政府が関与してフェイク・ニュースや偽情報を拡散している点があり、これにより、実態の把握がますます困難となっているのが「ハイブリッド戦争」の特徴の一つとなっている。そのため、ハイブリッド戦争では、公式発表を追っているだけでは情勢を把握することは、単に不可能であるだけでなく、現実と大きく乖離した誤解を抱く危険が大きい。このような状況下で、偽情報に引っかからずにウクライナ情勢を理解するには、複数の有力な情報源にアクセスして丁寧に「真偽検証(ファクト・チェック)」をし続けることが重要となる。

有力な情報源となっているSMMの報告

 ウクライナの紛争発生当初から、客観性の高い情報源となっているのが、欧州安全保障協力機構(OSCE)が派遣している「ウクライナ特別監視団(SMM)」の報告書である。

 OSCEは、欧州という名こそついているが、実際にはアメリカやカナダ、ロシアやカザフスタンやモンゴルといった国も参加しており、その加盟国数は57か国。日本もオブザーバーとして名前を連ねている。SMMは、2014年3月以降、ウクライナ全土で活動しており、各加盟国から現在1000人を超える監視要員が、防弾車で前線を訪れたり、夜間監視カメラや無人飛行機、衛星といった機器を使って、ウクライナ全土の監視活動を行っている。この監視活動の成果は、立証済み事実からなる情報として、毎日「SMM日報」として発行されている。

Daily and spot reports from the Special Monitoring Mission to Ukraine(OSCE)

 このようなSMMの活動は、フェイク・ニュースやプロパガンダによりしばしば不透明になりがちなウクライナ東部情勢に、客観的な光を与えるものとなっている。

 例えば、ロシア政権は、紛争当初から繰り返しウクライナ東部の戦闘には参加していないと主張し、自らの紛争への関与と責任を否定し続けるが、他方で、SMMは、これまでに繰り返し、被占領地域の武装集団側でロシア軍のみが有する最新兵器の配備を報告したり、ロシア領からウクライナ領へ深夜に検問地点のないところから侵入する車列を映像で記録したりしている。更には、SMMは、インタビューにより、自らがロシア軍人であることを認め、ウクライナ領内で任務を遂行していたと自供する人物の存在を報告したこともある。

 SMMによるこのような情報は、第3国や国際機関がウクライナ情勢に関する政策を決定する際や、ウクライナがロシアを相手に国際裁判所で訴訟を起こす場合に、「国際機関により立証された事実」という客観性の確保された、つまり、信頼のおける根拠として利用されている。2014年以降、ロシア連邦がウクライナ東部紛争への関与を否定し続けているにも関わらず、G7やEU、NATO加盟国がロシアに対する制裁を継続・強化しているのは、OSCE/SMMによるこのような客観的情報提供が根拠の一つとなっている。国連安保理や国際会議でウクライナ東部情勢が取り上げられる際にも、SMMの代表者が出席して治安情勢を報告することが慣例となっている。

SMMに対するロシアの妨害行為

 だが、このOSCEが抱える困難もある。OSCE/SMMが文民ミッションであり、業務執行の強制力を持っていないため、物理的な妨害に対して無力である点である。具体的には、ウクライナ東部においては、ロシアが支援する武装集団がしばしばSMM要員を脅迫する等して、監視妨害をしていることが挙げられる。ロシア武装集団の構成員は、頻繁に東部のウクライナ・ロシア間国境地域へのSMM要員のアクセスを制限しており、またSMMが国境付近にて活動拠点を設置する計画も妨害していると言われている(SMMは拠点設置の申請をしているが、ロシア武装集団側が国境付近のみ許可を出さない)。

 ロシアが監視を妨害する場所には何か「やましいもの」があると考えるのが自然であり、SMM側も、要員の物理的アクセスが妨害される地点、例えばウクライナ・ロシア間国境地域には、長距離無人機(UAV)を飛ばす等して監視活動を継続している。実際、この無人機を使った監視はこれまでにしばしば大きな成果を出しており、例えば、無人機によりロシア領からウクライナ領への未舗装道路を通じた深夜の車列の進入が繰り返し記録できている(2018年、SMMは類似のケースを8回記録している)。

SMMが報告した深夜のロシア領からウクライナ領への車列進入の様子の動画(Youtube)

OSCE/SMMの紹介動画

 これに対して、ロシア側は、無人機に対する銃撃・砲撃をしたり、ロシア製最新鋭の電子戦兵器によるジャミングを行なったりして、SMM無人機を繰り返し攻撃しており、これまでに多くの無人機が撃墜されている。言うまでもなく、SMMの無人機は加盟国の拠出する資金で運用されているものであり、撃墜の責任がロシアにあることが判明した場合は、欧米諸国は名指しでロシアを批判している。

「事実の監視を巡る戦い」が重要な局面に

 このように、ウクライナ東部では、前線でのウクライナ対ロシアの物理的戦闘に加え、OSCE対ロシアの「事実の監視を巡る戦い」が続いているのである。そして、この「事実の監視を巡る戦い」こそが、ロシアがウクライナで展開する「ハイブリッド戦争」の複雑かつ重要な局面なのである。

 ロシアは、自国の対ウクライナ侵略の責任を可能な限り矮小化すべく、絶えずフェイク・ニュースやプロパガンダを拡散したり、監視行為の妨害を行なったりしている。そのような中で、偽情報・フェイクニュースに引っかからずに情勢を正しく把握するには、情勢の傾向を的確に把握しつつ、一つ一つの情報に対して予断なく真偽検証(ファクトチェック)を行い、SMMのような国際機関の監視活動を支援し、情報をフォロー、分析・検証し続けることが重要なのである。

 なお、SMMは公的な機関であり、紛争現場の情報の監視と確立が主要な活動目的である。SMMが提供する情報は、しばしばその他の媒体が各種の情報の真偽検証をする際の根拠に使われる。では、誰がSMMの情報を用いて、ウクライナで起こる「ハイブリッド戦争」における情報戦の検証を行っているのであろうか。次回は、ウクライナや欧州で活躍する「偽情報」対策を行っている団体・プロジェクトの紹介を行うことにしたい。

著者紹介

平野 高志(Hirano, Takashi)

ウクルインフォルム通信(ウクライナ)日本語版編集
東京外国語大学ロシア・東欧課程卒。2013年、リヴィウ国立大学(ウクライナ)修士課程修了(国際関係学)。2014〜18年、在ウクライナ日本国大使館専門調査員。2018年より現職。