ファクトチェッカーのメンタルが危ない COVID19で変わるファクトチェック:ふたつの国際会議から (上)【奥村信幸】


冒頭画像:Global Fact8でのファーストドラフト クレア・ウォードルの基調講演(2021年10月20日深夜 日本時間)

 2021年、日本で自民党総裁選やその後の政局、衆議院議員選挙の選挙戦が行われていた期間に、世界的に重要なミスインフォメーション対策、ファクトチェックに関する会合が2つありました。(この一連の文章では、「フェイクニュース」という言葉は政治的な意味合いを帯びるため、「ミスインフォメーション」などの正式な用語を使います。少々まわりくどいですが・・・) (文中敬称略)

 ひとつは、9月29日と30日(日本時間)に行われた「APAC Trusted Media Summit(アジア太平洋地域 信頼できるメディアサミット)2021(以下「APACサミット」と表記)」 、Googleニュース・イニシアチブ主催のイベントです。アジア太平洋地域の約60の国からジャーナリスト、NGO、メディア研究者などが参加しました。

 もうひとつは、10月20日から23日(日本時間)に開かれた「Global Fact 8(グローバル・ファクト・エイト:以下「Global Fact 8」)」という世界のファクトチェッカーや、ディープフェイク対策の専門家、AIの研究者らが中心となる会合です。アメリカのフロリダ州に本拠地を置くIFCN(国際ファクトチェック・ネットワーク)が主催する、この分野では最も先進的で影響力のあるものです。

 どちらの会合も2年連続でオンラインで開催されました。特に新型コロナウィルスや、ワクチンの問題に関しての議論を、3回に分けてご紹介します。

 1回目は新型コロナウィルスがファクトチェッカーに与えた影響についてです。治療法や感染源などでミスインフォメーションが飛び交い、ワクチンをめぐる議論は政治問題化する中で、長時間のオンライン作業を強いられる人たちへのダメージは予想以上のものでした。

世界のファクトチェッカーにメンタルの危機

 Global Fact8の冒頭に基調講演をした、世界のファクトチェッカーが頼りにしているミスインフォメーション対策のコーチングや研究を行う団体、ファースト・ドラフト のクレア・ウォードルの締めくくりの言葉は「さあ、外に出て散歩に行きましょう」でした。オンラインとは言え、世界のファクトチェッカーが仲間との再会や情報交換などを期待して集まる場のオープニングでこう言って、あえて問題を提起したのです。

 ファクトチェックの対象となる情報や発言などは、しばしば攻撃的な言葉が使われていたり、陰謀論や悪意がにじみ出ていたりするものがあります。そのような情報を扱う仕事の性質上、これまで「致し方ないこと、宿命」だとして割り切るというのが、「暗黙の了解」ではなかったかと思われます。しかし、世界のファクトチェッカーのリーダー的存在の彼女が、基調講演の15分あまりを、ファクトチェッカーのメンタルヘルスの問題だけに費やすほど、深刻な問題となっているのです。

 「あなたたちの多くは、インターネットの最悪の部分を一日中見続けているのです。新型コロナや温暖化などで、生きにくくなっている世界を、みんなが何とか切り抜けている中で、極端で、奇妙で、有害な見方で説明しようとしている人たちと、連日接し続けているのです」と彼女は発言しました。

 新型コロナによるリモートワークが定着する中で、この問題は深刻になりました。外出も制限され、押し寄せるミスインフォメーションの量は増え、ひとりでパソコンに向かっての作業が延々と続きます。同僚に気を紛らわすおしゃべりなども極端に減ったのですから。

ファクトチェッカーの協調と連携

 しかし、だからと言ってファクトチェッカーが仕事を減らせばいいというものではないとウォードルは言います。「あなたたちは炭鉱のカナリア、最初にひどい言説を発見する最前線にいるのです。人々は頼りにしているのです」と。それではどうすればいいのか、ウォードルが提案するのは、同じコミュニティで仕事をしているファクトチェッカーどうしの、メディアの枠組みを越えた横の連携です。

 ウォードルはコミュニティ内のファクトチェッカー全体を「セクター」ととらえ、セクター総体として最善のパフォーマンスをあげることができる態勢をとるべきだと提案します。そしてファクトチェッカーの仕事量を減らすという「自衛策」を、セクターが一致協力してとらなければ、メンタルヘルスの問題に立ち向かえないと言いました。

 彼女が強調したのは、「ファクトチェッカー相互の協力によって『duplication(重複)』を回避せよ」ということでした。「複数のファクトチェッカーが同一の、最悪なコンテンツに対処する」ことを、極力減らすようにするために協力が必要だと訴えました。

 例えば、暴力など刺激の強い画像や映像は、それを見ている瞬間には平気と思っていても、精神的なダメージは相当のものがあります。そのダメージは、映像を見て直接仕事をしている人に限りません。同僚と一緒でも、一日中ワクチン反対派の意見ばかり議論していると、やはり精神に変調をきたす可能性があります。

 さらに、ファクトチェッカーに対して、オンラインだけでなく、オフラインでの物理的な脅迫やハラスメントも増えています。「ネット上のことだから」では済まない状況も生まれています。

ジャーナリズムの伝統的な価値観が問われる

 しかし、この提案は、これまでのメディアの価値観に根本的に挑戦する提案です。これまで長らく、ファクトチェックもニュース・コンテンツの一種なのであるから、メディア各社が競い合い、問題のある言説のセレクト、分析やレーティングのユニークさを競うのが当然であると考えられてきたからです。

 しかし、ウォードルは競争よりも協働を強調します。命にも関わる新型コロナに関するミスインフォメーションから、風刺の効いたネット上のミームなどまで、ファクトチェッカーが扱わなければならない問題は多く、別々に仕事をしていては手に負えなくなっている深刻な事態です。また、それらの情報が、どの社会集団や人種にダメージを与えるかという法則もないのです。

 また、これだけファクトチェックの手法が進歩してきたとしても、ミスインフォメーションの拡散に「どのタイミングで介入するか」という問題は、未解決の大きな課題として残っています。会員制の掲示版などでやりとりされている段階でファクトチェックの内容を公表すれば、そのような間違った情報(だけど興味を引くもの)の存在を広く知らせてしまいます。しかし、待ちすぎるとその情報はツイッターなどに載った途端、またたく間に拡散して取り返しの付かないことにもなるのです。

 メディアは、新型コロナウィルスの社会的な混乱が収束するまでなど期限を切るなどの可能性も探りながら、社会やコミュニティのために、ファクトチェックのリソースを提供する方法を編み出すべきだとウォードルは主張しています。メディア企業の経営レベルで「企業がニュースやジャーナリズムをどのように考えるか」という理念の確認や、覚悟を求める提言でもあったのです。

(中)に続く

 

著者紹介

奥村 信幸(Okumura, Nobuyuki)

武蔵大学社会学部教授、FIJ理事
1964年生まれ。上智大学大学院修了(国際関係学修士)。1989年よりテレビ朝日で『ニュースステーション』ディレクター等を務める。米ジョンズホプキンス大学国際関係高等大学院ライシャワーセンター客員研究員、立命館大学教授を経て、2014年より現職。訳書に『インテリジェンス・ジャーナリズムー確かなニュースを見極めるための考え方と実践』(ビル・コヴァッチ著、トム・ローゼンスティール著、ミネルヴァ書房)。