簡単なようで難しい:「意見」と「事実」の不確かな境界線【鍛治本正人】


〜ニュースリテラシー講座 其の1〜

 ポスト真実やフェイクニュースという言葉が騒がれ、その対抗策の一環としてメディアリテラシーが注目を集めるようになって久しい。

 「フェイクニュースに騙されないためには、メディアリテラシーが必要だ」「SNS上のデマをシェアしないように、メディアリテラシーを身につけよう」

 一見なるほどと納得する主張だが、ジャーナリズム教育の世界に長年身を置き、”ニュース”リテラシーを専門分野とする人間にとっては、問題はそんなに単純じゃないのだがなぁと、少し違和感を覚える。

 例えば以下のようなツイートが流れてきた場合、どのように真贋を見極め、シェアすべきか判断すればよいのだろう?

 「速報:本日の大気汚染指数、過去最悪を更新。寿命を5日縮める勇気のない人は外出を控えましょう。#無能政府」

 最初の速報部分、大気汚染指数については、ネット検索をすれば、住んでいる国の気象台などからの情報が得られ、すぐに過去最悪であるかどうかわかる。仮にこれを事実だとしよう。

 ではその次の文章はどうだろう。寿命が5日縮まるほど健康に悪い空気だというのは、事実だろうか、それともツイート主の意見だろうか?

 まずその根拠を考えてみよう。例えば喫煙の場合、疫学調査などから統計的にそのリスクを寿命に換算し、算出することは可能であるし、また喫煙の危険性はそういった文脈で語られることがよくある。

 一般的に専門家の一致した見解は事実だと認識されることが多いのだが、この場合もそういった根拠のある数字なのか、あるいはツイート主が意図してでっち上げたものなのか、はたまた意図せずにうろ覚えの数字を使い間違えてしまった(例えば5時間を5日と書いてしまった)ものなのか、すぐに判断するのは不可能だ。

 時間をかけて調べればある程度の推測はできるが、ツイートをシェアするかしないかを判断するのに、そこまで時間をかけるというのは非現実的だ。とりあえず、大気汚染による健康被害の度合いを測る尺度としては、不確かな情報としておこう。

 最後のハッシュタグ、「#無能政府」はどうだろう。これは明らかにツイート主の政府に対する批判であるので、ここから政府が大気汚染に対して無策無能であったかどうかの判断はできないということでよいのだろうか。

 確かにこの一単語のみを見ればそうなのだが、意見には事実無根、事実軽視の感情論もあれば、証拠を積み重ねた上での見解もある。近隣諸国と比べて明らかに対応が遅れていたことをある程度証明することは可能だろうし、ツイート主が仮にそういった調査記事を読んだ上でハッシュタグを選んだのだとしたら、この「意見」の背景には、単純に政府が嫌いなだけの人間の「意見」とは異なり、一定の事実が含まれているのかもしれない。

 だが、それを調べることは、前文と同じように手間のかかることなので、ここではハッシュタグによる「意見の表明」は意見の表明として、信憑性を問うような性質のものではないとしよう。

 さて、このツイート、正しい情報もあれば、真偽のわからない情報もあり、そこに文章を書いた人間の意見も見え隠れしている。それでは、このツイートをシェアすることは、フェイクニュースに騙される可能性、あるいはデマ拡散に加担してしまう危険性を無視した、配慮のない、メディアリテラシーのない行動なのだろうか。

 大抵の人は、「ええい、うるさい。今日の空気が酷くて健康に悪いのは事実だし、それを家族や友達に伝えるためにリツイートするだけなんだから、寿命とか、政府の責任がどうとか、細かいことは後から気にする人が調べればいい。実際に大手のテレビやラジオ放送でも、外出は控えるように言ってるんだし、それは間違ってない」となるだろう。

 あるメディアコンテンツが事実かどうかを見極めるのは、全くもって簡単ではない。多くの情報は、真偽の判断のつけようがない人々の意見や予想などと共に提供されている。完全にでっち上げの捏造記事であっても、一文一文を見てゆけば、大部分は事実で構成されており、だからこそ信じる人もたくさんいるのである。

 ユーザーにメディアリテラシーがあれば「フェイクニュース問題」は解決の方向へ向かう、と言うのは、どこまで高度なリテラシーを想定しているのかわからないし、例えどんなに上手にそれを教えたとしても、歴史や微分積分と同じで、全ての生徒が知識や分析力を身につけるわけではない。

 例えば下記のキャンペーン・ポスターはユネスコのものだが、「事実、真実でない情報はシェアしないようにしましょう。必要であれば参考文献(出典)を示し、疑問がある場合は検証しましょう」とある。メッセージの趣旨には同意するが、これまで述べてきたように、このハードルはかなり高い。SNS上に限らず、情報の多くは「意見」の側面があることを考えると、言うは易く、行うは難しで、あまり現実味はないように思う。

 さらに言えば、冒頭に述べた「フェイクニュースに騙されないためには、メディアリテラシーが必要だ」「SNS上のデマをシェアしないように、メディアリテラシーを身につけよう」という主張そのものも、いわゆる意見であり、その根拠となる証拠は意外に乏しい。

 メディアリテラシー教育の効果や有効性をどう測定すべきなのかは、長年この分野に携わってきた研究者の間でもあまりコンセンサスがなく、そういった調査の結果にも、かなりばらつきがある。メディアの本質とは何か、社会的にどう機能していて、それをどう教えてゆくべきかという教育者側の視点に立った研究は山ほどあり、その知見は同じ教育者として大いに参考になるのだが、逆にその教育を受けた生徒を長期的にモニターし、比較対象グループと比べて効果を測定するという研究は、そもそも計測方法からして様々な考え方があり、また日常におけるメディア消費活動には色々な要素が絡むので、単純にできるものではない。

 ではどうすればよいのか。ニュースリテラシー、それに類似する分野では、マクロな視点ではなく、かなり具体的に「どのようなサイトやアプリ、データベースの使い方などを教えれば、どれだけの生徒がどのような類の偽情報の真偽を確かめる技術を身につけるのか」というミクロな視点で、調査をする。虚偽のニュースや信憑性の薄い情報源、デジタル市民意識の一部に的を絞り、テスト形式で学生のファクトチェック能力や政治意識を計る方法だ。長期的にはわからないが、少なくとも短・中期的な教育の効果はデータとして出すことができる。

 こういった研究は最近出始めたものだが、スタンフォード大学の調査結果などはかなり注目を集めたし、今後増えていくのではないかと思う。次回の講座では、その辺りを含め、情報の送り手ではなく、受け手側の知識、意見という側面から、ニュースリテラシーを語ってみたい。

(著者の承諾を得てブログから転載しました)
著者紹介

鍛治本 正人(Kajimoto, Masato)

香港大学ジャーナリズム・メディア研究センター准教授。社会学博士。専門は情報の生態系研究、及びニュースリテラシー教育。IFCN加盟申請団体を調査する第三者審査員の一人。米CNNの記者として2001年に香港へ移住。現在は言論・報道の自由、デジタルメディア関連法案などを念頭に置いたニュースリテラシー教材の開発など、複数のプロジェクトに携わっている。