情報の真偽を検証する「ファクトチェック」に取り組む報道機関が世界で増えていますが、日本はこの分野で遅れています。
韓国においても、ソウル大学(SNU)と、保守系からリベラル系まで幅広いメディア、巨大IT企業まで協力する取り組みがあり、日本よりも先を行っています。
日本で活動するNPO法人「ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)」の招きで来日講演したチョン・ウンリョンSNUファクトチェックセンター長に聞きました。
2017年大統領選がきっかけに
チョン氏は東亜日報記者を経て米メリーランド大でジャーナリズムを専攻し、博士号を取得。ソウル大や延世大などで教鞭をとってきました。
チョン氏によると、韓国でファクトチェックが広がったきっかけは2017年5月の大統領選。これに先立つ3月にSNUファクトチェックセンターも設立されています。
SNUファクトチェックセンターは、IT大手ネイバーの支援を受けて特設サイトを設置。15の報道機関(現在は27)が加わって、政治家の発言やネットで広がる情報などの真偽を検証しています。
報道機関にはいわゆる保守的なメディアからリベラルなメディアまで揃っています。それぞれのメディアは自由に検証対象を選べるし、同じ対象をそれぞれのメディアが独自に検証してもかまいません。
多様なメディアを受け入れるプラットフォーム
「進歩的なメディアと保守的なメディアが協力するようなことは韓国では過去20年なかった。『事実に基づいて議論をする』という点で一致した」と、チョン氏は話します。
とはいえ、路線が違うメディア同士で検証結果が異なることはないのか。検証の品質のばらつきはないのか。質問してみました。
「参加メディアの検証結果については、編集権を尊重するのですべてサイトに掲載する。一つの対象に正反対の検証結果が出てきても両方掲載している。私達はプラットフォームであり、上下関係にはない」
全ての記事を載せるためには、品質管理の観点から、事前に参加メディアをどこにするかの判断が重要です。その質問にはこう答えました。
「参加を希望するメディアのファクトチェックを3ヶ月間観察する。その結果、SNUファクトチェックセンターの委員会で満場一致したメディアが参加できる。断る例もある」
特設サイトにはそれぞれのメディアの検証結果が一覧で出てくるため、ユーザーは意見の異なるメディアによる多様な検証結果を見ることができるのが大きな利点です。
ネイバーが年間1億円を提供
講演会の場で参加するメディア関係者から驚きの声が上がったのは「ネイバーがこのプロジェクトに年間1億円の財政支援をしている」と説明があったときでした。
日本ではLINEの親会社としても知られるネイバーは、韓国では検索やポータルサイト事業などで圧倒的に大きな存在です。
日本で言えば、東京大のファクトチェックプロジェクトに朝日、読売、毎日、産経やテレビ局、ネットメディアが集い、そこにヤフーが数億円単位で支援しているようなものです。
日本ではFIJがファクトチェックのメディアパートナーを募っていますが、新聞社では琉球新報と毎日新聞、テレビ局では中京テレビが加盟しているだけです。
記者のトレーニングや自動化の研究も
ファクトチェック記事の公開だけではなく、記者のトレーニングや、国際的なファクトチェック機関「International Fact Cheking Network」との連携、ファクトチェック記事のデータを収集・分析し、ファクトチェックを自動化する研究も進めています。
日本よりも進んだ取り組みですが、課題もあります。
チョン氏とともにFIJに招かれた公共放送KBS記者で全国言論労働組合主席副委員長のソン・ヒョンジュン氏は、自身がファクトチェックに取り組んできた経験から、次のような課題を挙げました。
絶対数の不足という課題
ソン氏によると、そもそもファクトチェックの絶対数が不足しています。
日本でも大きく報じられたチョ・グク前法務大臣の疑惑について、2019年9月に54の主要メディアが1万5929件の記事を公開した一方で、この問題に関するファクトチェックは年間でも15件しかなかったそうです。
「世の中の関心が高い問題に対して、メディアが検証の役割を果たせていない」
両氏ともに指摘をしましたが、ファクトチェックは人手や時間がかかるわりに、それほど読まれず、収益はほとんど生み出せません。
アメリカでは人員規模が大きい大手メディアが積極的に取り組んでいる他、寄付で成り立つ有力NGOが存在しますが、韓国では日本より先を行っているとはいえ、規模を拡大していくのが難しいのが現状です。
信頼性を獲得するために
また、そもそもメディアに対する信頼性が低いという課題もあります。せっかく、ファクトチェックをしても、信じてもらえないと意味がありません。
ロイター・ジャーナリズム研究所が毎年発行する「デジタルニュースリポート」で、韓国は3年連続でニュースの信頼性が調査対象の36カ国中最下位でした。
チョン氏はファクトチェックをすること自体が信頼の獲得にもつながると指摘し、さらにそのルールを国際レベルに厳格化して実施することで、さらなる信頼の向上を目指しています。
記者から出たファクトチェック批判
冒頭で紹介したように、韓国でファクトチェックが広がったのは2017年の大統領選挙。当初は記者の中からも批判があったそうです。
「論争となっている問題で何が正しいかを判断するのは自己主張的なジャーナリズムではないか」
「ジャーナリストは状況に介入しないオブザーバーであるべきではないか」
しかし、誰かが言ったことをそのまま書くだけでは、政治家が嘘をついたら、それをそのまま書いて読者に伝えてしまうことになります。
世界でファクトチェックが広がっているのは、政治家であれ、誰であれ、その人が発した不正確な情報が無批判に広がっていくのを防ぐためです。
「英語で『he said, she said』という言葉がある。『彼はこう言った。彼女はこう言った』と書いているだけで、どちらが正しいかを伝えていない。ファクトチェックは発言者の言葉の真実性を確認する行為だ」とチョン氏は語ります。
裁判所も認めたファクトチェックの意義
大統領選挙後、SNUファクトチェックセンターは野党の自由韓国党から「党の評判を損ない、選挙に影響を与えた」という理由で刑事告発され、さらに名誉毀損で民事訴訟も起こされました。
しかし、刑事告発は不起訴。民事訴訟でも勝利しました。ソウル地方裁判所は判決で、ファクトチェックの意義を次のように評価しています。
「報道機関が提示した検証結果が常に正しいとは断定できない。しかし、報道機関が信頼できる根拠に基づき合理的な思考プロセスを通じて判断を下した結果である場合、それは容易に名誉毀損であると認めるべきではない。報道機関が根拠をもって公的な人の発言を批判することが、公的な人の発言がフィルターを通さず国民に直接伝わることよりも民主的な政治秩序の維持において好ましいからである。さらに、このような監視と批判は、言論の自由であり正当な報道活動に該当する」
日本でも選挙期間中のファクトチェックに関して、選挙結果に影響を与えるという批判があります。この点をチョン氏に聞きました。
「各国の法律によって、選挙期間中に可能な報道は異なるというのが前提だが、選挙だからこそ、政治家の発言はチェックされるべきだし、世界の多くの報道機関はそうしている」
アジアで広がるファクトチェック
ファクトチェックはアメリカを中心とする欧米の報道機関で広がってきました。FIJもSNUも参考にするファクトチェックのスタンダードはアメリカに本部をおくInternational Fact-Checking Networkが公表しているものです。
しかし、近年は韓国だけでなく、インドネシアやフィリピン、台湾などアジアでも急速に拡大しています。
誰もがネットで情報を発信拡散できる時代になり、情報量が爆発的に増えたからこそ、誰かの発言をただ伝えるだけでなく、検証することが重要になっています。
取り組みが遅れる日本は、欧米だけでなく、アジアの先進事例からも学ぶ必要があります。
(関係性明示のためのメモ:筆者が創刊編集長を務めたBuzzFeed JapanはFIJのメディアパートナーで、筆者は独立後にFIJのアドバイザーに就任しています)
(Yahoo!ニュース個人より承諾を得て転載しました。冒頭写真はFIJ撮影)
古田 大輔(Diasuke Furuta)
ジャーナリスト / メディアコラボ代表 / FIJアドバイザー
1977年生まれ。早稲田大政経学部卒。2002年朝日新聞に入社し、社会部、アジア総局員、シンガポール支局長などを経て、デジタル版の編集を担当。2015年10月に退社し、BuzzFeed Japan創刊編集長に就任。2019年6月に独立し、株式会社メディアコラボを設立。ジャーナリスト/メディアコンサルタントとして活動している。主な役職に、BuzzFeed Japanシニアフェロー、Online News Association Japanオーガナイザー、早稲田大院政治学研究科非常勤講師など。共著に「フェイクと憎悪」など。