(写真)仏政府の報告書「情報操作:民主主義諸国が直面する試練」より
欧米では批判的リテラシーの育成が国家戦略
3月12日、筆者の研究室にフランスから来客があった。外務省からの要望で、ぜひ筆者に会いたいのだという。フランス軍事学校戦略研究所(IRSEM)のポール・シャロン氏とジャン=バプティスト・ヴィルマー氏であった。いったい、そんな方々が何のために筆者に会いたいのだろう。外務省に尋ねると、彼らは日本の「フェイクニュース」問題について意見を交換したいのだという。
そこで、筆者はFIJ事務局長の楊井氏に同席していただき、日本の「フェイクニュース」の現状やFIJの取り組みなどについて議論した。彼らの関心は日本における外国からの「フェイクニュース」であった。フランスでは「フェイクニュース」は国防問題だという。
仏外務省とIRSEMによる報告書『情報操作―我々の民主主義への挑戦』はフランスにおける「フェイクニュース」問題とその対策についてまとめられたものだ。そこには50の行動目標が挙げられており、この問題に対する真剣さが伝わってくる。
・INFORMATION MANIPULATION – A Challenge for Our Democracies(仏外務省・IRSEM、2018年8月)
こうした国策レベルでの「フェイクニュース」対策はフランスだけではなく、全世界的規模で進められている。例えば2018年6月にはイギリス議会の超党派グループ「フェイクニュースと批判的リテラシー教育委員会」が『フェイクニュースと批判的リテラシー最終報告書』を公開している。そこには以下のような内容が含まれている。
・半数の子どもは、フェイクニュースを見分けられないことに不安を感じている。
・ニュースを信頼している子どもの割合は、フェイクニュースの影響を受けて、今や3分の2となった。
・教師の3分の2は、フェイクニュースは子どもの安心感を害し、不安感を増加させると考えている。
・教師の半数は国のカリキュラムは子どもがフェイクニュースを見分けるのに必要なリテラシーへの備えがされていないと考えている。
ーFake news and critical literacy: final report(2018年6月)
アメリカのメディア・リテラシー・センター(Center for Media Literacy)はニュースレターに次のように書いている。
このように、欧米を中心にメディア・リテラシーやニュース・リテラシー、デジタル・リテラシーなどの批判的思考力を含むリテラシーの育成は、国家戦略の一部だと見なされるようになってきた。それほど「フェイクニュース」問題はどこの国でも深刻であり、「フェイクニュース」対策教育は民主主義の防波堤だとも言える。これが今の世界の常識だ。
文科省「教育の情報化に関する手引き」案にみる危機感の欠如
では日本はどうか。つい最近、文科省は新たな「教育の情報化に関する手引き」案を公開した。現在使われている手引きは2010年に作られたもので、現在文科省は作成検討会を開いて、新たな手引きを作成中である。
第1回の検討会の議事要旨がすでに公開されている。しかし、驚いたことに、この中にはこうした「フェイクニュース」への対策はまったく言及されていない。もっとも中心的な課題は「プログラミング教育」である。
「教育の情報化に関する手引」作成検討会(平成30年度)(第1回)議事要旨(2018年2月14日)
今年8月19日に開催された第2回検討会では手引きの構成案と原稿素案が公開されている。IT人材育成の必要性は強調されているが、「フェイクニュース」問題にはほとんど触れられていない。後ほど紹介するが、ごく一部に情報の信憑性について触れられているだけである。
筆者がとりわけ注目したのはこの手引きの土台になっている2013年(小学校)と2015年(中学校)に実施された「情報活用能力調査」である。文科省の「情報活用能力」には「情報収集、整理、分析、表現、発信の理解」が含まれており、オンライン情報もその一部となるはずである。
この「情報活用能力調査」の中学生用問題の一つを下に紹介しよう。
この問題に含まれる検索エンジンは架空のものであり、検索された結果を批判的に検証することは求められておらず、内容は正しいものとして読み解きを求められる。真実とデマが飛び交う現実のインターネット環境ではあり得ない問題だ。
一方、下の問題を見てほしい。これはスタンフォード大学が2016年にアメリカの中学生から大学生までを対象に実施したオンライン情報評価テストの問題の一つである。
この問題の画像は2015年にアメリカの写真共有サイトで出回った福島の奇形の花の写真である。これを見て放射能の影響の証拠だと考えるか、その理由を書けという問題だ。正解するためには内容だけではなく、情報源の確認を求められる。
この問題については筆者も少ない人数ながらも日本で実施している。その結果は驚くべきものだった。日本の高校生や大学生もほとんど正解できなかったからだ。詳細は下の筆者論文を見てほしい。
・「ポスト真実」時代のメディア・リテラシーと教育学 フェイクニュースとヘイトスピーチへの対抗(坂本旬、生涯学習とキャリアデザイン、2017年)
さて、日本とアメリカのほぼ同時期に行われた二つのテストを見てどのように感じただろうか。架空の非現実的なサイトを無批判に評価させる日本のテスト、そして実際に流通したオンライン情報を評価させるアメリカのテスト。日本のテストには、オンライン情報は正しいものだとする隠されたメッセージがある。文科省は2009年に実施されたOECDのデジタル読解度調査の結果を見て、このようなテストを用意したと考えられる。しかし、デジタル世界を生きる子どもの現実に即したものとはいえない。
・OECD生徒の学習到達度調査(PISA2009)「デジタル読解力調査」のポイント(国立教育政策研究所)
さて、新「教育の情報化に関する手引き」案には「情報には誤ったものや危険なものがあることを考えさせる学習活動」という一文がある。これは「情報モラル」教育に関する記述の一部だ。「情報モラル指導カリキュラム表」にも「情報の信頼性を吟味できる」という教育目標が含まれている。
そして「情報の信憑性」について次のように書かれている。
しかし、肝心の情報の信憑性を吟味する方法は書かれておらず、手引きとしては不十分だ。
ちなみに、文部科学省がオンラインで配布する『「情報モラル」指導実践キックオフガイド』には次のように書かれている。
たったこれだけなのである。批判的リテラシーの必要性について何の言及もないばかりか、前回紹介したアメリカ図書館協会のチェックリストのようなものすらない。欧米が真剣に「フェイクニュース」対策のための批判的リテラシー教育に取り組んでいる状況と比較すると、日本の教育政策には危機感を感じることはできない。
文科省は日本の子どもたちは日々デマや「フェイクニュース」と接しながら生活している現実を直視すべきではないだろうか。
坂本 旬(Sakamoto, Jun)
法政大学キャリアデザイン学部教授(図書館司書課程)
東京都立大学大学院教育学専攻博士課程中退。教育系出版社や週刊誌などの編集者、雑誌執筆者を経て、1996年より法政大学。現在、同大市ヶ谷情報センター長、アジア太平洋メディア情報リテラシー教育センター(AMILEC)・福島ESDコンソーシアム代表として、ユネスコのメディア情報リテラシー・プログラムの普及に取り組む。基礎教育保障学会理事。